…が、私は大好きだ。アナキンが暗黒面に堕ちていき、ダースベイダーになってゆくところにどうしようもない必然感を感じ、非常に心打たれるのだ。天才故に悩める若者の心の隙間にシスが喪黒福造のように現れて、見事に取り込まれる。

 「失う事を恐れるな。執着は嫉妬となり、やがて独占欲に変わる。」

 ヨーダが言う事は的の中心を貫いている。将来を期待されたはずの若者が、一番憎むべきはずだったシスに陥ってしまう。

 05年に劇場で2回観てからもう10回近く観ただろうか? 当時wowowを契約していたので、それでやっていたら観て、やがて時間が経ち地上波でやるようになればまた観る。

 なぜそんなに好きなのだろうか? アナキンの運命を自分に重ねているのだろうか? 「あれはどうしようもない事だった。突然あの時あそこにRが現れては、ああなる他はない。」と思いたかったのだろうか?

 シスの暗黒卿は言う。「ジェダイもシスも相対的に見ればどちらが正義で悪とも言えない。」(だったかな? 観た直後に書いているわけではないので記憶が曖昧なのだが)と。その通りなのだ。そんな真っ当な事を言われてしまったら反論のしようがない。その後メイス・ウィンドゥが現れ、裁判無しで彼を成敗しようとする。アナキンはどんな悪人だろうと裁判にかけるべきと訴える。現在の法の適正手続上ではアナキンの言う事が正しい。しかし本作のこの場面では判断が微妙なところだ。裁判にかけても議会を裏で牛耳っているパルパティーンが無罪になる可能性は極めて高い。だが有無を言わさずたたっ斬れというメイスの行動もどうなのだろうかと思わざるを得ない。裁判までは行かなくてももうワンクッション置いた正当な手続きはなかったのだろうか? どちらが反逆者か分からず、一瞬の判断が明暗を分ける名シーンである。結果は暗に終わってしまったのだが、あの状況であの結果では闇に堕ちても仕方がないのではと思わざるを得ない。きっとオウム教にはまって殺人その他の犯罪に手を染めた秀才達もこんな感じだったのだろう。

 さて、私のあの状況はどうだっただろうか? そもそも私は天才でも何でもない。で、相手のRも巨悪でも何でもない。あのタイミングで現れ、あの論法で攻められれば、精神的にまいるのではないかと思われるが、その結果私が悪に染まったわけでもない。ただ単に、あそこから逃げ出す理由を正当化しただけだったのではないか? もし彼が現れたのがあの時のあのタイミングでなかったなら、私が彼に会った事自体を今になって思い出したかすらもあやしい。「偶然再会した、変な風に変わった奴」で終わっていたかもしれない。事の本質は私の弱さであり、内実性のなさだ。実力云々の問題は勿論あるが、それ以前にそちらの方が問題なのである。私のあの状況は誰にでもある浮き沈み、バブルですらない。自惚れるのもたいがいにしろと言いたい。