明けましておめ…と言おうとしたところで例の地震が起こってしまった。天災は時と場所を選ばない。本当にKYだなと改めて思ってしまった次第である。よりにもよって正月の元旦などに…勿論地震は何でもない普通の日にだって起こってほしくはないし、絶妙な間のグッドなタイミングなど元々ないので、空気を読むも読まないもないのだが、せめてもうちょっと違った時期に起こっても良かったのではなかったか? いや、そもそも天災は空気など読む必要がない。起こってしまえば自動的にそれが起こした惨禍を中心として空気が醸造されてゆくのだから。

 倒壊した建物や赤々と燃え上がる街をTVで眺めながら、昨日はお節料理で酒を飲んだ。ウクライナやガザ、その他の戦場の報道を見ている時も感じた事たが、何という御身分だろう。安全地帯で他人の不幸を肴に酔っ払うなんて…必然的にそうなってしまう状況を避けるためか、父は飯を早めに済ませ、さっさと寝てしまった。東日本大震災の時もそうだった。仲間内で定期的に集まる飲み会を企画していたが、自粛してキャンセルした(店の方としては魚も酒も準備してしまっていたので、大損になってしまう。それを危惧してか、後日「飲み屋を救う会」として会を開いたそうだが)。残念ながらこちらが自粛しようがしまいが画面の向こうの方々には何の影響もない。東日本大震災の時にも言われた事だが、皆が自粛し大きなイベントが中止や延期に追い込まれる事が続いたりすると、金回りが悪くなり結果的に日本が不況になってしまう。

 それまでの流れとは全く違う世界に突然放り込まれてしまう。考える間もなく亡くなってしまった方は尚更だ。いやいや、天災というものは全く読めないものですな。