随分前に録っておいた美術品の贋作のドキュメンタリーを観た。贋作の天才のような画家が居て、対象の画家の作風から次の作風への移行空白期の贋作画を描き、各国方々で高く売ってきたという。拘り方も堂に入っている。画材も当時のものを使ったりして、専門家でも見抜けず、皆長年騙され続けて来たそうだ。

 しかしここで思う。本物とは一体何なのだろうか? 「当時はこの絵の具は使われていない」「⚫︎⚫︎の筆使いとしてはあり得ない」等々、鑑定番組でもよく言われている事ではある。だがしかし、その鑑定人の頭の中にある「それがオリジナルである」というイメージは何故本物だと認定できるのだろうか? それが本物だったとしても、本作のような天才贋作家が居て、その基準を悉く満たす作品を作り、未来永劫誰かにバレなければ、それが本物という事になってしまう事になる。

 「私は対象の画家のとある作風からとある作風への移行期の作品を創る時、その画家になって、頭の中でまさに創造を行っているのです。逆に、現代の画家は自分のオリジナルの作品を造る時、頭の中には何処かで見た誰かの作品のイメージを浮かべているのです…」(観てから随分後にこの文章を書いているので、少々違う文面になっているかもしれません)

 オリジナルとコピーの逆転のような話を最後に彼はしていた。確かにその通りだ。私が何か発想し創作したとしても、様々な作品を観て来てしまっているので、今の時代全くのオリジナルはあり得ない。何かの混合コピーでしかあり得ないだろう。では私が出来るだけ創造者たらんとするならばどうすればいいだろうか?

 更にその後、クロ現で、拡がり利用される生成AIについての特集を観た。これぞ精巧な贋作家の極みと言ったところだろう。まずオリジナルではあり得ない。元々ある情報を収集・分析・混合させて、全く新しいものを創り出すからだ。だがこれが単なるコピーかというとそうでもなさそうだ。まだまだAI単体では無理だが、様々な人手を加えてブラックジャックの新作が出来たが、これは十分にオリジナルと言って差し支えない程のものだ(実際に手塚治虫が描いたわけではないからオリジナルとは言えないが)。

 シミュラークルという言葉がある。現代では元々オリジナルとコピーの区別がつかないそうである。ボードリヤールという人が80年頃に言った事だが、それが現在では更に、当時では考えられない程広範囲に、複雑多岐に進行したという事だろうか?(月並みな意見だな? これも誰かの意見の劣化コピー的な受け売りだなどと言わないでほしいです。まあ、言われてしまっても仕方ない。実際にそうだからね)