先日、2回程参加した事のある劇団の主催者が突然亡くなったと、関係者から知らされた。発見された時は電車の中で眠るように亡くなっていたと言う。元々ライターなので、腕が鈍らないようにと毎朝更新しているブログを、その日読んだばかりだったので、俄かに信じられなかった。

 最後のブログのが「誰か教えて下さい」と、とある日常で起きた出来事に対する問いで終わっていた。するといつもは誰も描かないコメント欄に(たまに書くのは私くらいだろうか)、「兄、なくなりました」と、奇妙なコメントがついていた。それを見て、イタズラにしてもメアドが添付されているのは不思議に感じていた。だがそうでない事はその日の内に知らせがあってすぐに判明した。

 彼と知り合って早8年になる。始めに参加した方の公演では、残念ながら常連客が一人減ってしまう結果となった(弟だが)。私自身も芝居の内容と現状が近しい、祖母が危篤の状態だったので、とても稽古が辛かったのを覚えている。途中何度も何故参加してしまったのかと後悔したものだった。本番ちょっとしたミスをした共演者にとても強く当たったのは、彼のミスそのものよりも自分の精神状態に問題があったのだろう。で、乗り切った結果常連客が一人減ってしまった件もあり、二度と関わりたくないと感じていた。だがその2回後の公演を観て、普通に面白いと感じ、その次の公演も観、更にその次の公演は参加するに至った。

 最初の公演から8年、思えば色々な事があった。2年後にはオウムの死刑連続執行の件で次女三女と父との関係を考え、その年末には特養に就職し、沢山の高齢者達と接するようになった。5年強の間には何人もお看取りする方もいて、その度に最初の公演の時の記憶が偲ばれた。自分の祖母の時はあれ程心を痛めたのに、周りに沢山大変な方がいてもそれ程にまで感じうる事がないのは、他人事だからだろうか? そんな事を日々考えていた。そしてまた身近の、よく見知った人で、いつも接している利用者よりもずっと若い彼の訃報を受け、また自分と違う面を発見している。

 さて、一週間後の告別式で久しぶりにどんな面々に会えるだろうか。何か彼の芝居の続きをやっているような感じだ。ファーザーの造った擬似家族に本当の息子がやって来て、悲喜交々の会話が交わされ、人々の本質が炙り出されてゆく…

   紙の潜水艦はいつ浮上するんだろう?  どこに浮上するんだろう?